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理由書を感想文みたいに書いてはいけないという話
2022.4.8
こんにちは。外国人ビザ専門のDEJIMA行政書士事務所です。
「技術・人文知識・国際業務」を例にとります。
申請時に添付する理由書についての話です。
本人申請で、不許可になったというケース。
提出した理由書を見せてもらうと、色々と、気になる点があります。そのような理由書に共通しているのは、
感想や希望的な記載ばかりされているということです。
例えば、
・申請人は、日本語も独学で勉強していたし、頑張ってくれると思います。
・真面目な性格なので、仕事にも熱心に取り組んでくれそうです。
・本人もがんばると言っています。
・勤勉な性格なので、許可をお願いします。
このような記載がNGというわけではありません。
本質的な問題は、感想や希望的な記載ばかりで、肝心な要件を充足することについての疎明資料がそもそも不足していること、疎明資料を根拠とした要件充足についての説明の記載がほとんどないことです。
お願いしますで済めば入管の存在意義などありません。
よく私は、プラモデルに例えるのですが、
パーツ(疎明資料)をきちんとそろえた上で、その組み立て方を説明書(理由書)で説明するという手順を取らなければ、入管の理解は得られず、不許可の憂き目にあってしまいます。どちらも非常に重要な要素です。いわば、資料と理由書がうまいことパッケージされていることに、本質的な意味があるわけです。平面的ではなく立体的なイメージで審査官に伝えることが重要だとも言えます。
希望や申請人のいいところを伝えるのは悪いことではないはずなのですが、自分が審査官の立場であれば、肝心なところは何も示していないのに、そのような感想的な記載ばっかりだと、かえって、信ぴょう性というところで疑念を抱くと思うのです。もちろん、肝心なところを説明、かつ資料で疎明した上での、希望や補足的な記載は有効だとは考えますが。
審査官も同じ人間なので、熱い思いを伝えることで、心情に響き、納得してもらえたということもままあります。しかし、そのためには、説得できるだけの資料と、理論面での詳細な説明が前提になければならないのも厳然たる事実だと言えます。